日本史 平安時代

1.桓武天皇から

780年 エミシの首長 伊治呰麻呂 これはりのあざまろ が、多賀城を落としいれた

 

784年 長岡京へ遷都 桓武天皇

⇦寺院などの旧勢力との関係を断ち、律令再構築をめざすため

 

式家の藤原種継を担当

⇨785年 ライバルが種継を暗殺

早良親王を処罰

794年平安京へ遷都

 

律令制の再建

雑用の半減、口分田6年から12年、

792年 健児の制

軍団を廃止して、郡司の子弟を兵隊に

令外官勘解由使 国司の交代不正を防ぐ、征夷大将軍

 

802年 蝦夷に、胆沢城をつくる いさわ

鎮守府をここに移す。

803年志波城もきづく

 

 

徳政相論⇨軍事と造作をやめる

藤原緒嗣の意見

 

⇨平城、嵯峨天皇へと続く

 

嵯峨朝は、

令外官 蔵人頭として、

北家 藤原冬嗣を任命

ほかには、検非違使平安京の治安を守る

 

810年 薬子の変 はっと驚く

平城の側近、藤原薬子を自害に、藤原仲成も平城側

 

2.藤原北家の台頭と藤原家の隆盛

 

他紙排斥 苦情が多くて、明日が不安

 

842年 承和の変 はじにおいやる

藤原良房が、勢力を伸ばした。

謀反を企んでいるとして、能書家の橘逸勢 はやなり、伴健岑 とものこわみね  は

 

858年 清和天皇が幼い

藤原良房が、臣下で初めて摂政に

 

866年 応天門の変

藤原良房が正式に摂政に、伴善男 とものよしおが犯人

 

887年 宇多天皇が即位

 

888年 阿衡の紛議 ⇨藤原基経が、関白に 宇多天皇に嫌がらせ

 

宇多天皇は、文章博士だった、菅原道真を登用した。

醍醐天皇が、右大臣にした。

六国史の最後、日本三代実録が編纂

 

914年 三善清行は、醍醐天皇に、意見封書十二箇条を提出

 

醍醐天皇の延喜の治、村上天皇の天暦の治

902年 延喜の荘園整理令

 

958年 村上天皇のもとで、乾元大宝の貨幣が、鋳造

969年 安和の変⇨摂関常置、清和源氏の台頭

源高明が、大宰府に左遷

 

三代格式

さあ、行こう正常なダイエー

嵯峨天皇弘仁格式

清和⇨貞観

醍醐天皇延喜格式

 

藤原道長

御堂関白⇨法成寺

藤原頼通

宇治関白⇨平等院鳳凰堂

 

小右記藤原実資が書いた

 

3.院生と平氏

1019年 刀伊の入寇

女真族が、博多湾に入港

 

後三条天皇

1069年 延久の荘園整理令

記録荘園券契所

えいきゅうのせんじ枡

 

白河

法勝寺を、建立し、法王に

院生のスタート

 

鳥羽

1156年 保元の乱

崇徳上皇 vs 弟 後白河天皇

⇨後白河の院政

 

1159年 平治の乱

摂関家 藤原通憲平清盛と、藤原信頼源義朝

⇨清盛は太政大臣 武家で初めて

 

荘園、知行国に加えて、

日宋貿易⇨摂津の大輪田泊

輸入 宋銭、織物

輸出 金や硫黄

 

反発⇨

1177年 鹿ケ谷の陰謀 後白河の近臣 藤原が起こした。

⇨後白河を幽閉

⇨1180年 安徳天皇を即位させ、清盛は外祖父になる。

 

平安期の武士の争乱事件

商店街あんなに遠いたい焼きや、前と後ろは皆歩兵

 

承平、天慶の乱

平将門 vs 平貞盛

藤原純友vs 源経基

 

安和の変

 

刀伊の入寇

 

1031年 平忠常の乱、源頼信が制圧

前九年合戦、源頼義

後三年合戦、源義家が、藤原清衡 きよひらを助けた。

 

源義親の乱

保元の乱平治の乱

 

弘仁貞観文化

最澄の弟子

円仁⇨山門派

円珍⇨寺門派

 

神仏習合⇨仏教が在来の信仰と結びつく

 

曼荼羅 まんだら ⇨密教の世界観を独特な構図で説いたもの

 

りょううんしゅう 凌雲集⇨はじめての、勅撰漢詩文集

文華秀麗集経国集

⇨勅撰漢詩

 

大学別曹

⇨有力な貴族が与えた、一族の子弟の教育のための宿と研究室を兼ねた施設

 

828年 綜芸種智院 しゅげいしゅちいん

空海が建てた、庶民の教育をする